- メディカルオンコロジー
第8回 直腸がんの術後の排便障害「LARS」について知る【後編】 排便障害の本質的な辛さ「人間の尊厳」との関わりとは(看護学の教授に聞く)
2024.03.12
今回お話を伺った佐藤正美(さとうまさみ)先生
【プロフィール】
1984年千葉大学看護学部卒業、順天堂浦安病院看護師、1992年千葉大学大学院看護学研究科修士課程修了、河北総合病院看護師、川崎市立看護短期大学講師、東海大学健康科学部看護学科准教授、筑波大学医学医療系准教授、2015年東京慈恵会医科大学医学部看護学科・成人看護学教授。直腸がん肛門温存術後患者の排便障害(LARS)の軽減へ向けた研究をライフワークとして継続している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
LARSについて、医療者そして患者や家族への啓発活動を行う研究グループ「with LARS」の佐藤正美先生(東京慈恵会医科大学 看護学科教授)と、榎本浩也先生(同大学附属第三病院 大腸外科医師)に、排便障害の仕組みや食事との関係について、そしてメンタルの保ち方等について伺いました。聞き手は、直腸がんサバイバーで重度の排便障害を経験し、現在は永久人工肛門を造設した佐々木香織(ピアリング・ブルー代表)です。後編は、長年LARS問題を研究している看護学の教授、佐藤先生のお話です。
LARS(ラース)の問題に長年取り組む第一人者の佐藤先生
―佐藤先生は、長年、術後の排便障害に関心を持ち研究を続けていらっしゃるそうですね。
はい。LARSという排便障害の患者さんと出会ったのは1990年です。大学卒業後、臨床ナースをしていた時、手術を受けて退院される患者さんに「退院おめでとうございます」と声をかけるのですが、本当にこの後、お家に帰ってどうなるんだろう?という疑問がありました。退院後に役立つことをお伝えしたいけれど、調べてもよくわからない、いわゆるエビデンスがないという情報ばかりで、そこがすごく気になっていました。
それで大学院に入学した後、演習の一環で、ある総合病院の外科の外来に行って、退院後の患者さんを捕まえては困りごとを聞き始めました。すると、この手術をされた方が非常に困っていることに気が付いたんですね。そこを掘り下げたくて調査をしたのが始まりで、修士論文のテーマにしました。もう30年以上、LARSに取り組んでいますね。
排便障害は、人間の尊厳に関わる問題
―私は以前、先生がご講演で「排便障害は人間の尊厳に関わる問題」とおっしゃっていたことに、非常に感銘を受けました。先生がそのように思われるようになったのは、なぜでしょうか?
LARSというのは、根本的に何が一番辛いことなんだろう、何が阻害されているのだろう、問題の本質って何だろう・・・というのをよく考えています。先に榎本先生が説明されたような身体的な症状、頻便や便漏れなどが問題なのは当然ですが、それだけではないと感じています。
多分、人間が赤ちゃんとして生まれてきて、だんだんと自立していくのは、自分でいろんなことをコントロールできるようになることだと思うんですね。自分で何かするときに、自分で決めて行う。そのすごく根本的なところが、トイレトレーニングです。便意がある、トイレに行きたい、行って出してスッキリする。人間はそこから自立がスタートしています。それが、排便障害になると、自分でコントロールが効かない。自分の意思で便を出したり我慢したりという調整ができないんです。これは、人間の尊厳が失われることに他ならないと思うんです。
ただ患者さんはそこまで思っていなくて、「せっかくがんを治療してもらったのに、排便程度のことなど言ってはいけないのではないか」などとおっしゃる方も多いです。しかし、尊厳に関わるメンタル面のケアは、実は非常に大切な視点なのです。
メンタル面から、LARS改善へ向けてできることは
―自己コントロールは、一つのキーワードになりそうですね。
自分でいろんなことを決めて行動できる「大人の人間」が、トイレコントロールになるとできない。そこに、LARSの本質的な辛さがあると思うのです。ですから、コントロール感をご自身で持てることは、とても大切だと思います。例えば、時にはトイレに行きたくなることもある、時にはちょっと漏れる時もある、でもこうしたら少し良くなる、こういう日はちょっと大丈夫・・・など自分で分かっているだけでも、少しのコントロールになります。
では患者さんが出来るコントロールは何かと言うと、一つは食事があると思います。
「食事日誌」を付けることで、これを食べた時には便がゆるくなりそう、この日の体調はこうだからこうなった、など食事と体調と便の関連性が少しわかり、コントロールをしやすくなります。明日は大事なイベントがあるから、今日はたくさん出してしまいたい、などという日があれば、たくさん出た時の日誌を参考にして実践すれば、少し安心できますよね。
通常、食事療法は「この食事がこの症状にいい」といった視点でなされますが、LARSの場合は、自分の生活を自分の思ったようにコントロールするために、何をどう食べるかのコツをつかんでいくこと。そうすることが、患者さんにとって良いのではと思っています。
LARSに向き合うために大切なのは、理解し、納得すること
―LARS患者さんと多く接してきて、メンタル面の保ち方について気付かれたこと、アドバイスなどいただけますか。
重症度のスコアが高い患者さんであっても「自分はまあこんなもんだ」と受け入れる方もいますし、軽度でも大いに悩まれる方もいらっしゃいます。私は看護師であり、看護の分野から患者さんを見ていますが、手術でダメージを受けて、どうしても避けられない機能低下があることを理解しています。その機能を回復させるために、薬や運動療法を効果的に行う、これはもう原則だと思います。
しかし、もう一つ大事なことは、患者さん自身が「自分の体はもうすっかり元には戻らないけど、自分のしたい生活がどうしたらできるかな、こうしたらいいのかな?」と、前向きに思えることではないでしょうか。
実際にあるプログラムを作ってそのことを研究した結果、「自分の体に何が起きたか」をその人なりに捉えることで、納得感を持って治療に向き合い前向きになれる、そんなデータが出ました。
でも、手術の前に説明を受けても、なかなか頭に残らないものですよね。LARSは特殊な症状なので、私の場合は、術後の退院後に外来で来られた患者さんに、大腸の図が描かれている資料をお見せして、「手術によって大腸の動きがこう変化して、神経がこうなって、血管が切れたからこうなって・・・だから排便習慣も変わるんですよ」という話をします。そうすると、どんな患者さんも「そうかそうか」と納得されて、前向きになっていくんです。やはり人間は、自分で考えて、考えと説明が合致した時に納得できます。術後のトラブルが発生した時に、このような説明をすることは非常に大切だと思いますね。
―患者としても、そんな説明を術後にぜひ受けたいですね。
こういった説明は、主治医のさじ加減でしているところがあります。正直に言って排便障害にとても興味がある先生もいれば、そうでもない先生もいますので、説明の熱の入れ方は違ってきます。
でも患者さんからすれば、どの主治医に当たっても統一した対応にして欲しい、という思いが当然あると思います。
そのために「with LARS」を立ち上げたという経緯もあります。同ホームページには、時間がない医師や患者さんにも学んでいただけるように、LARSの仕組みから対処法までをわかりやすく紹介しています。今後は動画での案内も掲載し、より理解していただけるようにアップデートしようと考えています。
【with LARS】
少し前の自分と比べてみよう
―メンタル面を保つために、他にはどんな工夫ができますか。
手術をしてまだ間がなかったり、1年程度の方々にとっては、こんな風に考えると少し楽になるかな、と思う考え方があります。人間はやはり、辛さのど真ん中にいるとしんどいものですが、3ヶ月くらい前のことをちょっと思い出してみて欲しいのです。あぁ、そういえば3ヶ月前はああだった、それより今の方がずっと調子がいいわ、などと変化を感じて欲しいのです。
患者さんと外来で久しぶりにお会いした時、あの時はもっと大変でしたよね、などとお声をかけると、「そういえばそうでしたね」と振り返ってご自身の変化を感じられるようでした。3ヶ月くらいのスパンで見るのが、ちょうどいいような気がしています。
もう一つ、メンタルを保つために大切なことは、トイレのことで頭をいっぱいにしないこと。LARSの問題の根幹にあるのが、お尻のあたりが常に「すっきりしない感じ」に支配されていることだと思います。やはり人間にとって排便は、本当は快感なんですよね。その快感が、LARSになると失われてしまう。便は出るんだけどポロポロとしか出なくて、ずっとお尻に残っている感じがある。それがすごく気になるというのは、当然だと思います。しかし実際は便が残っているわけではなく、「残便感」という感覚が残っている。
そんな時に、自分の大好きなこと・集中できることをして気を紛らわせるのが良いようです。ある方は、コーラスをされていたのですが、排便障害がすごく辛くて、お友達が迎えに来ても行けず、部屋の電気を消してじっとこもっていたそうなんです。でもある時ふと、もう一回やってみようかなと思って行ってみた。すると、歌を歌っている2時間は全く便意がなく、逆に2時間も出ないことに不安になったそうですが、帰宅するとちゃんと出たというのです。便がないのに便を感じる「残便感」が、歌を歌うことで吹き飛んでしまったんですね。このように、意図的に便意を紛らわすことが出来れば、それも一つの自己コントロールになりうるのではないでしょうか。
この記事を読んでいるご自身に、大きな花丸をつけてあげて
―最後に、LARS患者さんにメッセージを一言いただけますか。
排便障害はなかなか人に言いにくいことですが、一人で抱え込まないことは本当に大事なことです。その辛さや苦しさは、本当に体験した人にしかわからないことだと思いますが、同じような仲間の存在は、大きな励みになるのではないでしょうか。
また、辛さの渦中にいても、たとえばこのお話を読んでみるとか、何とかしようと前向きに生きていることって、すごく単純なことかもしれませんけど、それだけで素晴らしいな、マルだな!って思います。その人の経験は、本当にその人にしかわからない。けれど、それをどうにかしたいと思っている。その気持ち自体が本当にマルであって、そんなご自身に大きな花丸をつけてあげて欲しいです。
私たち医療者は、そうした患者さんの声をたくさん聞かせていただくことで、もっともっとケアの幅を広げていけると思っています。
取材・執筆・撮影/佐々木香織
大腸がん・消化器がん女性のための支え合いSNSコミュニティ|ピアリング・ブルー (peer-ring.com)